天外伺朗さんのメルマガから

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放射能の件について、拍手したくなるご意見が載っていました

この時期、心を整えるのに大切な内容かと思います→→


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天外レポート No.58
(2012/01/04)


  
 明けましておめでとうございます


 以前と何ら変わらない日常のようでも、
カレンダーは2012年という新しいページになっています…
でも、日本の社会は、昨年の3月11日に古い暦が破壊され、
新しい歴史に突入したのかもしれません。

 「3.11は我々の日付になった。何かが完全に終わり、まったく違う日々が始まる」
池澤夏樹朝日新聞2011.04.05)

 多くの人が放射能汚染に対する取り組みで苦しんでいますね。

 海外の友人の中には、今でも日本列島全体が放射能まみれになっていると信じている人が大勢います。

センセーショナルで行き過ぎた報道は、
日本だけではなく海外のマスコミでも見られました。

 原発からはるか遠くに住んでいるにもかかわらず、
そういう報道を信じ込んで、
恐怖に駆られて沖縄や海外に移住した友人も結構います。

 実際に汚染濃度が高い地域にお住まいの方は、不安が大きいでしょうし、
子を持つ母親の気持ちを思うと心が痛みます。

 国や地方自治体も、決して手を抜いたり、サボっているわけではなく、
懸命に知恵を絞って汚染が拡散しないための対策や除染を進めています。

 一方では、国の発表や対策は信用できないと考えて、
自ら測定し、警鐘を鳴らして、対策に奔走している人も大勢います。

 これらの活動は、すべて貴重であり、
大災害から日本が復興していくためには、
たくさんの多様な努力が必須です。

 原発事故の収束や、汚染の拡散防止策、除染などの実際的な活動は、
もちろんとても大切ですが、
ここでは精神的な対応について考えてみましょう。

 心配で逃げ出した人や、過剰に反応している人に対して非難めいた事をいう人もいますが、
目に見えない放射能に対する恐怖というのは、人間として当然でしょう。

 沖縄に逃げていった友人が
「自分だけ逃げてしまって…」
と、後ろめたい気持ちを表明したので、
「あなたの心の平安が、何より貴重なのですよ」
と、諭しました。

 不安にさいなまれている人は、それを無理やり押さえ込もうとしないで、
状況が許されるなら、不安を解消するための行動をとったほうが自然です。

 一方では、原発事故の直後に、放射能をものともせずに、
そこに駆けつけて被災者の援助に当たったボランテイアや僧侶もおり、
また、汚染濃度が高い中で平然と、何事もなかったごとく暮らしている人たちもたくさんいます。

 原発からはるかに離れていても心配で移住するのも「人」なら、
汚染濃度が高い中でも平然と暮らすのも「人」です。

 いったい両者は何が違うのでしょうか?

 ここで「いい/悪い」という判断の呪縛に陥らないようにご注意いただければ幸いです。

 放射能汚染が心配なのもきわめて人間的だし、
平然と暮らすというのも、ひとつの性根の据わった生き方です。

 「反応が過剰だ」
とか、
「危険性に気づいていない」
などという批判は、余計なお世話であり、
両者が議論をしても噛みあうはずはありません。

 人はみな、それぞれの価値観に基づいて「自分の物語」をつむいでいく存在であり、
それを人に押しつけても何の意味もないでしょう。

 私自身は、1947年から2年間広島にいました。
庭が海に面しているという夢のような家に住んでいましたが、
大勢の若者が海水浴のため勝手に庭に入りこんできました。

 夏になると人々の裸を毎日眺めていましたが、
ほとんどの人が大きなケロイドを負っており、直接被爆していました。

 放射能の危険性も知られておらず、測定器もない時代でしたから、
野菜や米の汚染も誰も気にかけず、
私の家族は汚染だらけの食材を2年間食べ続け、
それが体内に蓄積して内部被爆も起こしたと推定されます。

 直接被爆した人たちのケアですら十分ではなく、
そういう二次的な被害まで、とても気が回らないのは、むしろ当然だったでしょう。

 それでも、私は69歳の今日まで健康に生きてきましたし、
母親は病気ひとつせずに101歳(数え)の天寿を全うしました。

 もし、統計を取ったなら、おそらく汚染された食材を食べた人の癌の発病率は僅かに高いでしょう。
でも、統計的なデータと一人ひとりの人生の実感は必ずしも一致しません。

 癌は細胞分裂のときDNAのコピーミスによって起きます。
私たちがコンビニで資料のコピーをする時でも、何枚かに一枚はコピーミスが出ますがそれと同じです。

 私たちは1日に約200億個の細胞を製造しますが、
確率的にいって数万個の癌細胞が生まれていると推定されます。
それでも癌にならないのは、その大半が自己免疫力によって殺されるからです。

 生き延びた癌細胞は数年かけてコロニー(病巣)に育ちます。 
コロニーが形成されても、そのほとんどは自己免疫力で自然に消滅します。

 矢山利彦医師は、コロニーに様々な汚染物質が集まってくる事を「ゼロサーチ」などを使って推定しています。
それらは、農薬、食品添加物環境ホルモン、金属、細菌、寄生虫など多種多様です。

 それらの汚染物質があることにより、免疫細胞が混乱してまともに戦えなくなり、
結果として癌細胞が生き延びる確率が上がる、
という仮説を矢山医師は提唱しておられます。

 つまり、汚染物質を蓄積することが、癌細胞の自衛手段になっているらしいのです。

 放射線を浴びるとコピーミスが増えるので癌細胞の数は増えますが、
いま問題になっているレベルは、毎日5万個が5万2千個になったといった違いではないかと思われます。

 もちろんそのわずかな違いでも、自己免疫力を超える確率は上がりますから、
統計を取れば癌の発病率は僅かに上がるでしょう。

 でも、個人としてみれば、放射線を浴びることよりも、
体温が0.1度下がって免疫力が低下することの方が、
癌の発病率には効くかもしれません。

 あるいは、農薬や金属の蓄積のほうが放射線よりも危険かもしれません。

 これが、統計データと個人の感覚の違いの正体です。

 統計データは、マウスなどを使って、他の条件を一定にして放射線濃度と癌の発生確率を調べます。
ところが、実際に生活している場面では、放射線以外に癌になる要素は山ほどあり、
放射線の影響は埋没してしまう傾向があります。

 たとえば、自己免疫力は精神の持ち方で大きく変わりますから、
「不安」になっている人は平然としている人より、癌になりやすいでしょう。
ただそれは、深層心理の問題なので、不安になっている人を非難することは残酷だし、
「不安にならないように」
といっても何の意味もありません。

 理性や論理でコントロールできるような話ではないのです。

 だから、不安になったら「逃げる」というのが、唯一の解決法です。
恥ずかしがらずに堂々と逃げればいい のです。
内心の不安を隠して、表面だけ平然としている、という状態は無理があります。

 逆に、まったく不安を感じなかったら、自己免疫力が活性化しているので、
少々放射線濃度が高くても癌にはならないでしょう。
だから、平然と生きるのが自然です。

 私の家族が、原爆投下直後の広島で、高濃度に汚染された食材を食べても健康を保てたのは、
当時は誰も知識がなく、
不安になりようがなかったことも幸いしたと思います。

 3.11の後の日本では、多くの苦難や葛藤を体験して、
「自分の物語をしっかりつむぐ人」が増える、
のではないかと思います。

 皆の物語に付き合うのではなく、
「自分」の独自性をちゃんと認識できる。
また、「自分の物語」に人を巻き込もうとしないで、
他人の独自性や、それぞれの物語を尊重できる、という事です。

 放射能が不安だったら、堂々と逃げる。
不安を感じなかったら、平然と生きる。

 どちらがいいという事ではなく、それぞれに物語があるのだから、
それぞれの価値観や生き方を尊重して、
共に仲良く生きていく、という感じです。

 ひとことでいえば
「多様性が受容される社会」
ということになります。

 逆にいうと、いまの社会はまだ多様性が受容されていません。  
あらゆる人が、自分と同じ価値観に人を巻き込もうと躍起になっています。

 民主主義の多数決という仕組みそのものが、
多様性を許さずにひとつの意見に無理矢理に収束させますね。

 原発の推進派と反対派の 議論も、TPPを巡る議論も、
相手を粉砕する論理展開がぶつかるばかりで、私にはあまり建設的に映りません。

 私は、いずれ原発は消滅すると見ていますが、
それは社会の価値観がGDPからGNHに自然にシフトするからであり、
反対運動が成功するからだとは思っていません。

 GDP至上主義というのは、明治以来の国是の「富国強兵」の変形であり、
多くの人がまだその呪縛にとらわれています。
その信者が原発を推進するのは当然であり、原発反対の議論をふっかけても虚しいばかりです。

 ただ、社会は着実に進化しており、若い人ほどGNHの大切さを理解しています。
いずれGDP信奉者が死に絶えれば、原発は自動的になくなります
(もっともその前に、私自身がいなくなるでしょう)。

 国民投票などで強引に原発廃止に持ち込むという選択もありますが、
戦いの歪が残りそうです。
多様性が受容された社会では、急激な変革よりも、ゆったりとスムースなことが好まれます。

「佳き事はカタツムリの速度で…」
マハトマ・ガンジー

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→→意見が違う人の存在も受け入れながら、自分軸をしっかり持っていく私たちになりたいですね…