クオリティ・オブ・ライフ

 
 
母の葬儀が終わった。
 
父は6年前に亡くなってから、毎日母の夢に訪ねて来ていたので、
今ようやく一緒になれて、手を取り合って、
2人はさぞ喜んでいることだろう。
 
 
 
●母は、子供のころ結核をわずらったので肺が悪く、
おまけに23才で電車事故で片足を切断、もう片足も人工関節だった。
入院先の病院でインターンだった父と知り合い、大恋愛で結婚。
長女の私と、妹を生み育てた。
 
40年前、勤務医だった父がクリニックを開業することになり、
見知らぬ田舎に引っ越した。 
母は、身体が不自由ではあったが、気持ちがしっかりした人だったので、
がんばって車の免許や、医療保険事務の資格を取った。
そして、何人もの看護士さんや、その他の従業員を束ねて働いた。
 
父の人徳と母の支えで、クリニックは大成功、
患者さんがいつもたくさん押し寄せていた。
 
父が70歳を超えて、体力の限界により、クリニックをたたんでからは、
妹家族と2世帯住宅に住み、夫婦仲良く、幸せに暮らしていた。
しかし、父が亡くなってからは
妹家族に囲まれての食事時間と、時々私とデパートに行くとき以外は、
ほとんど1人でテレビを見ているだけになった
 
 
 
●ところで母の健康面はといえば、
16年前にアロエベラジュースを飲み始めてからは、
若いころからの持病の頭痛と胃痛が、嘘のようになくなっていた。
しかも、肺が悪いはずなのに、風邪もひかなくなった。
車いすだから運動ができないにもかかわらず、
どこかが痛いということもなく、
身の回りのことは自分でできていた。
(私が母にできた最大の親孝行の一つは、
アロエジュースを伝えたことだと思う。)
 
しかし、呼吸がスムーズではない感じがあり、
病院で検査してもらうと、血中の酸素濃度が下がっていた。
若いころの結核のため、肺の機能が悪いところに、
さすがに高齢も加わってのことだった。
酸素ボンベをつけたほうがいいとすすめられたが、
すでに車いすと義足装着で身動きが大変な母が、
酸素ボンベをつけたら、日常生活ができない。
母は、それを拒否し、自宅での日常生活を続けていた。
 
 
 
●それが去年の終わりに突然、
自宅のすぐ近くに高級老人ホームがオープンすることを知り、
「ここに入る」と言い出したときは、驚いた。
他人が苦手で、家族大好きの母が、
他人に囲まれた生活を選択するとは思いもよらなかったから。
 
さっそく見学に行くと、明るくきれいで、ホテルのような感じで、
レストランのほかにティールームがあったり、施設が充実している。
個室も居心地よさ下げで、朝食も母の好きな洋食をチョイスできる。
スタッフの方たちも、感じがいい。
医療体制ももちろん完璧。
 
それでも、1か月も我慢できずに「うちに帰る」と言い出すのかな、
と思っていたが、結果、一度も「帰る」と言い出さなかった。
今思えば、母は、人生のほとんどを思った通りにしてきた人だったが、
最後に自分の死に方も自分で決め、
そのための理想の「終の棲家」を、自分で引き寄せたのだと思う。
 
 
 
●最近になって、酸素の血中濃度がさらに下がった。
医師からはよく起き上がったりものを食べたりできると驚かれたが、
アロエベラジュース愛用者の数々の事例を見聞きしている私と妹には、
何の不思議もなかった。
栄養素をちゃんともらえると、細胞というものは、
現代医学の常識を超えた現象を、起こせるものなのだ。
 
しかし、この際だからと、担当医と老人ホームの所長さんたちに
お集まりいただき、母と私たち娘の意志をはっきりお伝えした。
私たちの望みは、無用な延命のない、安らかな自然死だった。
ボンベやらチューブやらで余計なことをせず、
きちんと野菜の栄養素を取っていれば、
脳と細胞に組み込まれた宇宙のシステムが、
らくにこの世での肉体生活の幕を閉じてくれることを知っていた。
現に、アロエ仲間のご家族でそのような大往生の方が、何人もおられるのだ。
 
果たして、その後すぐに常人の3分の1にまで酸素濃度が下がり、
起き上がれなくなると同時に、食べられなくなり、
ほとんど眠っているようになった。
酸素マスク、する?と聞いても、首を横に振り、
アロエジュースだけは目を閉じたままストローでごくごく飲んだ。
翌日の午後は昏睡状態になり、その夜、未明に息を引き取った。
 
 
 
●なくなってからも、そのまま自分のベッドにいる母の個室に、
スタッフの方々が、かわるがわる訪ねてくれた。
私が母の部屋にぱっと入ると、たいていどなたかがいて、
話しかけたり、泣いたりしているのを目撃できた。
何人もの方が、母との思い出を涙を浮かべて私たちに語ってくださった。
 
所長さんからも、泣きながら感謝された。
「私たちに見送らせていただいて、本当にありがとうございます。」
と、言われ、心底驚いた。
自然な死に方をしたい、という私たちを、
内心、迷惑がっているのではないかとも思っていたからだ。
 
所長さんがおっしゃるには、通例、自然な死に方をしたいと選択された方も、
いざ死が近づくと、ご家族がどうしていいかわからなくなって、
病院に搬送してしまうことがほとんどなのだそうだ。
心を込めてお世話していたのに、病院に行くと、もうそれきり。
あとで、「亡くなった」との知らせた届くだけ…。
それは、所長さんにとって、とてもやるせないことだったのだ。
 
母がなくなって翌々日、晴れた、穏やかな日。
出棺の時、スタッフさんが20人前後も集まり、
心をこめてお見送りしてくださった。
 
 
 
生き方、死に方は、自分で決めるものだと、
母をとおして、また教えてもらった。
本当にありがとう…。
あなたを誇りに思います。
 
 
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