「逝き方」は「生き方」



「人生の3大疑問」と言うのがある。「正確にはなんだったっけ?」と思って、ネットで検索してみた。


すると、すぐ出てきたのが、「Yahoo!質問箱」。衝撃的な質問が目に飛び込んできた。


「人生の3大疑問。

人はどこからきてどこへ行き自分は何者なんだ?って疑問に思いますかね?
その疑問の意味がよくわからないんですが。
本当に考えるんでしょうか?」


えええっ!?逆に、これを疑問に思わない人がいるの~???


私はこの疑問を子どもの頃から考えてばかりだった。人は本当に違うんだなあと、また再確認した。



「人はどこへ行くのか。」つまり、死後のことは、長いこといろいろ調べてきた。


でもこの数年は、その手前の部分、死に方」にも相当興味が出て、その手の本をいくつか読んでみた。とにかく死ぬのは100%間違いないのだから、ワタシ的には当然知っておかなくてはならない。



そんな中、母が老衰になった。本人と家族と介護者とで相談し、一番安らかな死に方だという「自然死」をめざそうと話し合った。


昨日105歳で亡くなった日野原先生と同じく、若い時に結核をやった母は、肺が悪く、血の酸素濃度がいつも低かった。しかし、酸素吸入は断り続けた。


その半年後にいよいよ命の火が消えかかった時も、きっぱり延命機器はこばんだ。結果、ものが食べられなくなった翌日、見事に逝くことができた。


母は最期の数年は、食べることのみに興味を持つ感じで、正直失望していた。(軽いボケだったのではあろうが。)だがその最期の見事さで、私は母を見直し、誇りに思えるようになった。


日野原先生も、胃ろうははっきり断られたと聞く。最期は自宅のベッドで、うつらうつらとなって、家族に看取られ安らかに息を引き取られたようだ。


先生の場合は、なんと亡くなる半年前までは現役だった。老衰になられてから半年の期間があったわけだが、それは周りが先生の老衰を受け止め、死を覚悟するのにちょうどいい期間だったろう。



自分も周りも納得でき、できたら周りに誇りに思ってもらえるような逝き方を私もしたい。それができるかどうかは、これからの生き方にかかってくるのだろう。

「逝き方は生き方」なのだと、お仲間の看護師さんから最近教えてもらった・・・。名言だ。


 
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新米ドライバーの娘の運転練習で、箱根ドライブ。畑宿の奥にこんな公園を発見。

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飛び込んだ名も知れぬ蕎麦屋が、思いがけずおいしかった!

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それから娘の希望で甘酒茶屋

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100%自然の甘酒♪

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それからさらに娘はダブルのおもちだ。さすが、若さ!

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御朱印を集めている娘にとって、箱根神社はマスト。

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ウィークデイだったが、外人観光客でにぎわっていた。

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最後に私が大好きな、芦ノ湖沿いのティールーム。ホッ、おちつく~♪