生き方、死に方(その2)

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(写真: コメダのソフトクリームコーヒー。
飲み物には、かならず、豆がついてくるのが、名古屋流とか


●主人の癌の時、手術はしたが、再発は免れない、(=打つ手はない)とお医者様から言われたので、
「ああそうですか、それなら自分で治します」と決めた。



●父が、胆石からくる胆のう炎をこじらせ、意識不明で病院に運び込まれたときも、
もう駄目だとお医者様から宣告された。
一生懸命手を尽くしてくださったあげく、「多臓器不全で、朝まで持ちません。」という結論を出された。

私は、「じゃあ、あとは自分でやるだけやってみよう」と決めた。
フォーエバーゼリーとアクティベーターを持って、死にゆく父の横に座り、
ひたすらそのどちらかを自分の手につけてはマッサージした。
そうしたら、驚くべきことに父の臓器が動き出して朝にはもちなおした。
何日か後には、退院にこぎつけることができた。

しかし、その後、胆石の手術で胆のうを取ったり、
胃癌も発見されたので胃を半分切除したり、と、やっているうちに、どんどん衰弱した。
そもそも、開業医だった父は、体力の衰えを感じて引退してからは生きがいもなく、
ぼーっと日常生活をこなしているだけだった。
だから、特に頑張って長生きする気もなかったようで、
アロエベラジュースもほんのおつきあいで飲んだり飲まなかったり。
そして、多臓器不全からよみがえって2年後、寿命が尽きて、永眠した。
79歳だった。

その直前にも、父の主治医は、癌の再手術を熱心にすすめてくださっていた。
でも、父は、断った。手術をしたら、もう少し長く生きただろうが、
病院で管につながれたままの延命になっていただろう。
私たち家族も、父がそうなってしまうのは避けたかった。
それで、みんなの意見が再手術はしないと一致した。

とうとう死期が迫って入院してからは、妹が毎日アロエジュースを少しずつ飲ませた。
そのお野菜パワーの効果なのか、主治医がびっくりするほど、苦しみも痛がりもしなかった。
結果、父は死の直前の2日間、点滴を受けただけで、生から死へすみやかに「通過」できた。

その点滴も、するかしないか主治医から尋ねられた時、実は私は断りたかった。
でも、父は点滴をする方を選んだ。
もし、しなければ、「通過」がもっと楽だったと思うが、そこは父自身の選択に任せた。
そして、私も長女として、父の最後に徹底的に付き合おうと思い、病院に2晩泊まり込んだ。
今にも息を引き取るかもしれない、という、2晩をともに過ごしたのだった。

結局父は、私が休憩を取りに家に戻り、母と妹が見舞いに来ている昼間に、
最愛の妻に看取られながら息を引き取った。
母が片足義足という身障者にもかかわらず、大恋愛で結婚して添い遂げた二人の、
素敵な結末だった。(つづく)