人は死なない



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(武蔵小杉のカフェ)



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(車麩のステーキ。体に染み入る美味しさ!)



先日、「人は死なない」という、東大の医学部教授の書いた本を読んだ。
副題が、「ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索」というもの。

著者の矢作先生は東大の救急部と集中治療部部長。

めちゃくちゃお忙しいに違いないのに、
本も古今東西のものをめちゃくちゃ読む方のようだ。

宗教とは違った観点で、霊についての研究をしてきた一流の科学者たちが
欧米にはかなりいた。
近代スピリチュアリズム」と言うのだが、
矢作先生はそれについてずいぶん調べておられる。

また、お仕事上でもプライベートでも、
生と死にまつわる信じがたい体験をたくさん経験されている。

若い頃は命の限界ギリギリの登山に取り憑かれていた。
お母様の死後、その霊との交霊体験もある。
そして今は集中治療室のトップ。
当然、臨死体験をする人も多勢いる。

そんな方の生死観知りたくて読んだわけだが…

結論は、
「人間がわかっていることはほんのわずかで、
人間を含めたすべての存在は驚くべき神秘に満ちている。
我々はその輪郭さえまだわからない」
ということだった。

さらに、
「人には魂があり、死んで肉体が朽ちても霊魂は生き続ける。
神のような存在も当然存在する。」
と考えておられ、それを先生は「摂理」と呼んでいる。

また、先生は「科学信仰」「医学信仰」に陥っている人たちを
嘆いておられた。
その人たちは、以下のような驚くべき勘違いをするそうだ。

病院では必ず正確な診断を受けられる。
治療は必ず成功する。
極端に言うと、病院に入院すれば必ず「死」から逃れられると
思っている患者やその家族がいる…。

実際は、運び込まれる患者を元に戻すのは困難だし、
たまたま対症療法で症状が軽くなったとしても、
原因が最後までわからないことはよくある。
医師に分かること、できることはごくわずかだと、述べている。

「自分の命を人任せにせず、自分自身でいたわって欲しい」
と思ったことが、この本を書く最初の動機だったそうだ。



実は私も若い頃、スピリチュアリズムの本を読んだ時期がある。
その時から、霊魂とサムシンググレートの存在は当たり前になった。

そして、主人の癌の時に医療に見放されてから、
自分と家族の命は自分たちで責任を持つ、という考え方も
当たり前になった。

そういう私の宇宙観・人生観と、医師である矢作先生のそれとが、
ほぼ共通しているのが面白かった。