思いの実現

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(写真:武蔵小杉の高層マンション群。以前は低い建物ばかりだったのに、気が付けばこんな景色に
)



「シャーロックホームズ2」を娘と見に行って、その映像に圧倒された。
当時の貴族の生活、豪奢な建築物がこれでもか、と描かれている。
セットやCGと本物の区別も、もはやつかないくらい技術が上がっているから、結局全部本物にしか見えない。
こういう大作映画は、映画館の大画面で見ると、超特急で海外旅行に行ってきたような満足感がある。


それにしても人間のイマジネーションとはすごいものだ
これが全部人間の脳から出たものと思うと驚嘆する。


しかし、自分のまわりの「現実」世界も、結局、ヒトの思考から生まれてきたものなのだ。
自分の姿も、環境も、家族も友達も・・・全部自分の「思い」から生まれたと思うと、なんだか頭がグルグルしてくる。


月すらも人間が見るから存在する、という現代物理の結論・・・すべては、自分の思いが作った世界なのだ。


フォーエバーに出会って16年。
私が6つのリッチを得ることが、「宇宙の願い」とわかって、フォーエバーの愛に満ちた世界で、少しずつ自分のネガティブな思い込みを解いてきた。
なにを得たいかを、意識的に「思い」描くようになった。
その「思い」は、気が付くと、封印した子供の頃の夢とつながっていた。


そして、「思った」通りのものが、一つ一つ自分のものになっていった。
健康、家族、素晴らしいお仲間、大好きなシゴトと収入、納得できる自分のファッションとスタイル・・・、そして最近は好みの家が得られた。


考えてみれば、「家」は私の心にとって、すごく比重が大きい部分だった。
だって、先日3人でディズニーシーに行った時も、まりちゃんは周りの人に関心を持っていたし、陽子さんは乗り物を見ており、私はと言えば・・・「建物」ばかり見ていたのだ。
(同じ場所にいながら、三人の見ているものがまるっきり違い、まるで異次元にいるようなものだった。)


思い返せば、子どもの頃は旅行に行くと、森の中など、人工物が一切目に入らない自然のなかに分け入って、何ともいえず癒される感覚に陶然としたものだった。
自分は人工物が嫌いなのかと思いこんでいたが、それはまったくの勘違いだった。
私は、自分好みでない建造物を見ているのが嫌なだけだったのだ。
(それが証拠に、美しい建物の写真集などは見るのが大好きだった。)


今、自分好みの建物に、住んでいる自分がある。
自分好みでない建物に住んでいた記憶は、すでにちくんと心痛む悲しい夢のようだ。
あれは、いったいなんだったんだろう・・・?
なんで好みでない場所にずっと自分を置いてきていたのだろう・・・?
それが、私の以前持っていたネガティブな「思い」が作った現実だった。


今、自分の世界を見ると、16年前とは雲泥の差だ。
大好きなものに囲まれた世界だ。
私のポジティブな思いが叶った世界だ。


とはいえ、まだまだスケールが小さい。
私の「思い」のスケールの限界を現しているのだ。
「自由自在のライフスタイル」と、胸を張って言えるレベルとは言えない。


せっかくの人生。
さらにスケールの大きな思いを描いていきたい。
「自由自在のライフスタイル」に向かって。